Funado Yoichi
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序−叛史のために

正史−教科書に書かれた歴史はみごとに首尾一貫している。強いものが勝つ。この当然の力学が説明されるために、数字がならべたてられ、条文や宣言が熱心に盛りこまれる。感情移入を排除したかのごとく見せかける技術がフル回転させられ、無味乾燥な体をなす歴史記述の中で、単純な力学はいつのまにかねばねばした法則にすり変わる。勝ったものは正しい。これが今日、歴史体系といわれているものであり、近代以降、この体系の内奥にはつねに巧妙な倫理主義が秘められているのである。正史の編纂者とはまさにこういう歴史体系のたゆまざる創造者であり補足修正の技術者にほかならない。彼らの努力によって、人は、俗にいう歴史−正史を読めば読むほど、力学の縦軸、倫理主義の横軸によって固定化された一つの座標軸の中での発想を余儀なくされる。この座標軸から自由になろうとすれば容赦なき報復が待ちうけているという恫喝が伏文字として機能しているから。呪縛。これが正史の出発から究極までの一貫した狙いである。

正史の版元−それはいうまでもなく権力総体である。権力の諸関係は複雑多岐にわたるが、それは正史の座標軸にしたがってあざやかに整理されていく。強いものが勝つ。勝つものが正しい。この論理のもとに権力はたがいに主従関係を結び、ヒエラルキーを形成し、正史の構造をより完全なものにしていく。

正史の構造−呪縛の構造は、その維持、発展のために必然的に懐柔不可能な敵対者に対する殺戮・収監、潜在的敵対者にたいする隔離収容という偏執狂的性格を持つ。これはブルジョワジーが世界を制覇して以降、権利や義務、自由や責任といった花言葉で隠蔽されようとしてきたが、その本質は古典の時代と何ら変わらない。イブン・バトゥーダはデリーの封建君主ムハメッド・トゥグラフの次のような言葉を記録している。「いまは昔よりずっと多くの悪質な手に負えぬ人間がいる。わしはやつらに叛逆的、背信的な意図があると疑えば、あるいは推測すれば、それだけでやつらを処罰する。そしてどんな些細な行為でも不従順な行為があれば、これを死をもって罰する。わしは死ぬまで、あるいはやつらがおとなしく振るまって反抗や不服従を棄て去るまでそうし続けるだろう。わしはやつらを罰する。なぜならやつらはだれもかれもそろってわしの敵にまわり、わしに敵対しているのだから」

権力者が敵対者をどう扱うかの哲学は古今東西を通じて変わりはしない。ただ、その技術に違いがあるだけだ。殺戮と収監。隔離と収容。当然のことながら正史のこのプログラムにたいして全的な反撃−叛史が開始される。

1. 叛史の概念
叛史は正史の対極にある概念である。 叛史とは正史が設定した座標軸そのものをぶち壊すことを目的とした迎撃と侵攻のヴェクトルである。潜在的な敵対者が絶対の敵対者に成長する過程であり、絶対の敵対者が正史を撃つために全エネルギーを放電する瞬間である。

2. 叛史の空間
叛史の戦場は正史が腕ずくペテンずくで設置した隔離収容区域である。そこは潜在的敵対者の隔離という政治的要請と賃金奴隷の創出という経済的要請に基づいて創られたものだ。叛史はここから進発して正史の神殿を爆破しようと奮戦する。つまり隔離区こそ叛史のホーム・タウンなのだ。しかしこの隔離区は安全地帯ではない。正史と正史の激突、帝国主義間の戦争と違い、正史と叛史の闘争過程では叛史の主体にとって敵の姿は判然とはしにくいものである。隔離区には正史のスパイたちがうようよと放たれているのだ。窓辺に座って無言のまま事務を執りつづける老人。にこやかに笑いかける女。かいがいしく働く青年。彼らが正史と密通している可能性がないとは言えないのである。これは断じて妄想の産物ではない。とくに蜂起の前段階では、これをあまく見たために失敗した例は無数に転がっている。隔離区では、注意力・信頼感が、猜疑心・痴呆性に変質しないよう、どこよりもたえず自己検証することが要求されているのだ。

3. 叛史の時間
叛史の戦場−隔離の森では何が起こるのか。木々の梢はいかに震えたか、花々は何色の涙を流したか、鳥たちはどこへ飛んでいこうとしたか、枯れた湖のそばの死んだ狼はどんな目をしていたか−これらを正史の時間によって体系づけようとする試みは諦めたほうがいい。叛史はときには緩慢に、ときには突発的に進行する。叛史は体系そのものを撃ち破る方向で展開されるからだ。とはいえ、たいていの場合、叛史の発端は、正史にたいする復讐というかたちで現れてくる。たとえば、カスピ海に面したダゲスタン地方の二十世紀初頭の蜂起者ゼリム・カーンのように。「心しておけ。おれは当局の代理人どもを殺す。彼らがおれの仲間を不法にも追放に処したからだ。ポポフ大佐がグロズニイ地区の長官だったとき蜂起が起きた。そして当局の代理人どもと軍隊は、哀れな貧者を何人か虐殺して見せしめにしなければならぬと思ったのだ。これを聞いたとき、おれはわが群団を集め、カディ・ユルトで列車を襲った。そこでおれは復讐のためロシア人たちを殺したのだ」

叛史の予兆としての復讐者は、その正義感、その勇気、その連帯精神を遺言状として消えていくが、それを受け継いだものたちの戦略は千差万別だ。正史とパラレルに対応することによって叛史を奏でるケースもあるし、まったく別種のプログラムの中で叛史が展開される場合もある。いずれにせよ、終局の目標は正史の牙城に侵攻してその座標軸を粉砕することにある。今日においては、すなわち、帝国主義の秩序体系を。

4. 叛アメリカ史
インターナショナルな正史の牙城−帝国主義的秩序体系の中心、これがアメリカ合衆国であることは言をまたない。この史上最強最大の国家は巧妙に細分化された可視的あるいは不可視の隔離区を持つ。1960年代以降、ここから一挙に叛史が吹き荒れはじめた。叛アメリカ史。世界の資本制国家がすべてアメリカ合衆国の傘下に入り、社会主義国が取引関係にはいった以上、アメリカ帝国主義を撃つ以外に呪縛の構造から解き放たれることはありえないことが確実だからである。 ヴェトナム戦争はその叛アメリカ史の最大のものであった。解放戦線死者総計70万。一般民衆死者推定200万。ヴェトナム人はこれだけの犠牲を費やしてアメリカ合衆国を叩きだしたのである。アジアの植民地のこの動きに呼応してアメリカ合衆国内の隔離区からもいくつかの叛アメリカ史が展開されていく。アメリカ帝国主義の維持・発展−汎アメリカ史はこれによって大きくたじろいだ。

?叛史の未来
ヴェトナムと本国内の隔離区からの挟撃によっても、アメリカ合衆国はまだ致命傷を受けていない。だが、汎アメリカ史と叛アメリカ史の確執は今後も拡大の一途を辿るはずだ。しばらくの小休止はあるにせよ。

汎アメリカ史と叛アメリカ史の激突の日−この戦局いかんが明日を決める。前者は札束と兵器生産指数を金科玉条とし、後者はまだ見ぬ価値のために血を流す。隔離区からの進撃を担保しているのは魂の尊厳のみである。

叛アメリカ史:隔離区からの風の証言



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